そ よ 風 は 何 い ろ
- roadster story -




オーストラリアで活躍するサバンナ(RX−3)

20 Straight 6 (Inline 6) VS Rortary - part 2 -
 
 第二次大戦後、無い無いづくしの廃墟から、ものづくり魂だけをたよりに数多の工業メーカーが立ち上がる。しかし、自動車輸入自由化を目前にして、日本の健全なモータリゼーションの発達のためには、その混乱状態を収拾すべきと考えた当時の通産省は、自動車産業の統廃合に乗り出す。

 戦前にコルクメーカーとして発祥した自動車メーカー後発組の東洋工業(現マツダ)にとっても、大手メーカーへの吸収合併を阻止するためには、圧倒的な技術的優位性・独自性を打ち出す以外に活路はなかった。

 東の本田、西の松田と言われた東洋工業の名物二代目社長、松田恒次氏は、西ドイツの「NSU」で開発された夢のエンジン、ヴァンケル式ロータリーエンジンに社運の全てをかけるという大博打に打って出る。

 つまり、脆弱な販売網をカバーすべく、技術志向・高級志向を社是としたプリンス自動車と、新機軸に全てをかけた東洋工業の対決は、当然の帰結だったのかもしれない。

 今でこそ、トータルバランスが売りのマツダのスポーツカーであるが、興味深いことに、当時のレースシーンでは少々状況が異なっていた。今考えれば、重量級ハイパワーのスカイラインが直線勝負、小型軽量のサバンナRX−3がコーナリング勝負と想像するが、実際には全く逆だったのである。

 当時のロータリーエンジンはレスポンス、すなわち、アクセルを踏み込んでから回転があがるまでの反応が若干鈍く、その時間差を計算に入れたアクセルワークが要求されるなど、およそスポーツ用エンジンとしては課題も多かった。だから、小型軽量ハイパワーを遺憾なく発揮できたのは、むしろ直線勝負だったのである。天井知らずに回り続けるロータリーエンジン、高回転になればなるほど、その真価を発揮する正に夢のエンジンであった。

 歴史にifは存在しないが、ライバルのプリンスは日本のBMWとなり得た数少ないメーカーであった。また、プリンス自身もロータリーエンジンの開発に着手するも、その他のメーカー同様失敗に終わっている。プリンスの技術者魂は、その後日産の中で脈々と生き続けたが、現在ではどうだろうか。一方、世界的な自動車業界の合従連衡の中で、マツダはフォードグループの一員となるものの、あくまでも独自性を保った確固たる地位を築いている。その違い、運命の分かれ目は単なる偶然の産物か、それとも・・・。

(2005/1/15)

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