そ よ 風 は 何 い ろ
- roadster story -
![]() 幻のFRライトウェイトスポーツ - MGF - |
3 誕生前夜
スポーツカーというものは、商売としては成立しがたい。運動体としての基本性能を満たすにはコストがかかる上に、どうしてもある程度実用性が犠牲になるため、そもそも数が売れず、利益が上がらないからだ。
従って多くの場合、スポーツカー成功の鍵を握るのは、絶対数の見込める北米市場である。日本車がまだ、「安かろう悪かろう」という程度の評価しか得られなかった時代、欧州製スポーツカーは北米でも人気を博していたが、それでも、「魅力的だが手間のかかる」と評されていた。
それらを駆逐していったのは、− DUTSUN Fairlady Z − を初めとする和製スポーツカー達である。安価で故障知らず、かつ高性能。日本車に罪があるとすれば、偉大な先人達の功績を過去の世界に葬り去ってしまったことかもしれない。とりわけ、ライトウェイトオープンと呼ばれるジャンルは英国車やイタリア車の天下であったが、厳しさを増す衝突安全性への要求も相まって、80年代には、ほぼ絶滅の様相を呈していた。
だから、忘れ去られた「夢」であったのか?復活を信じるものはいなかったのか?
いや、そうではない。ライトウェイトスポーツにこそスポーツカーの原点があることを、世界中の自動車エンジニアは信じていた。しかし、経済的にも手頃であるべきライトウェイトスポーツ、しかもオープンカーは、もはや、現代的な要件の中では成立し得ないと考えられていた。
事実、ここに一枚の写真がある。幻の”MGF”と呼ばれる車・・・そう、1980年に姿を消したMG−B以来の、あのモーリス・ガレージの再来である。1987〜1988年に試作された正真正銘のFRライトウェイトオープンスポーツ。もしも、ロードスターに先んじて市場に投入されていたなら、自動車の歴史は変わっていたかもしれない・・・。
(2004/8/5)
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