そ よ 風 は 何 い ろ
- roadster story -
![]() 直列6気筒エンジンを積む最後のスカイライン 初代を意識したデザインコンセプトは分からなくはない。 しかし、なぜこうまで攻撃的でなければならなかったのか? それがスカイラインだというならば、消滅は必然だろう。 |
21 Straight 6 (Inline 6) VS Rortary - part 3 -
日本を代表する、直列6気筒エンジン後輪駆動の「硬派なスポーツセダン」。伝説の全日本ツーリングカー選手権49連勝。ポルシェをも先行した「箱型」レーシングカー、GT−R神話。羊の皮を被った狼・・・。
日産の技術者にとってスカイラインを担当することは最大の誇りだったに違いない。また、これを支えた熱狂的なファンも少なくなかった。しかし、形式名「R34」を最後に、スカイラインから「Straight
6」は姿を消した。
あくまでも「セダン」派生でありながら、ホモロゲーションモデルとして神格化された「GT−R」。生粋のスポーツカーとして誕生しながらも、アメリカンGTカーとしての道を歩んだフェアレディーZとは対照的な存在。では、日本のモータリゼーションにとって、いや日本人にとって、「スカイラインとはいったい何だったのか?」
10世代にも及ぶ各モデルを振り返ってみるとき、そもそも、スカイラインには一貫した明確なコンセプトなど存在しなかったのではないか?という疑問が生じる。もちろん、「硬派な」とか、「男の」、「大人の」といった漠然としたイメージはあったことだろう。時には、豪華・拡大路線に走ったり、ターボや電子制御による先進性のアピールに奔走したという紆余曲折もあったが、そこからは、時代の要請にあわせながらも最先端技術を惜しみなく投入し、ライバルメーカーを横目でにらみつつ、より多くの顧客を獲得しようとしたメーカー側の苦悩も見て取れる。だから、マーケティングに翻弄された不遇・・・と言う同情の余地も無いわけではないのだが・・・
そもそも、車の基本をなす設計思想には、実用的工業製品としての、あるいは運動体としての尊重すべきセオリーがある。それは曲げてはならない「正義」とさえ言って良い。スカイラインは断じてスポーツカーではないし、またスポーツカーであってはいけなかったはずなのである。スポーツセダンにはスポーツセダンの「正義」があるのだ。
例えばパッケージング。
公道という変化に富む路面状況に的確に対応するサスペンションストローク。的確な操作のための正しい姿勢が取れるシート形状及びクッション厚、その上に、平均以上の体格の大人4〜5人が正しい着座姿勢を取った場合、最低限確保されるべきヘッドクリアランス(頭上空間) 等々を勘案し、なおかつ、重心をできるだけ高くしないためセダンとしての「全高」というのは、おのずと決まってくる。
余談ながら、トヨタのカリーナEDに端を発する屋根の低い一群の4ドアスポーティセダンは、車としては全く「いびつ」な存在だ。日産プレセア、マツダペルソナ、ランティス等々、セダンとしての存在意義を忘れた、ひどく不格好な車が流行った時代もあった。合理的パッケージングに基づいたトータルバランスに優れたセダンをベースに、居住性をやや犠牲にしつつも、流麗さの演出に価値を見いだしたセダンベースの2ドアクーペと、それら「ぺったんこ4ドアセダン」とでは、志においても、美的感覚においても救いがたい断絶がある。プロポーションとしては同じでも、アメリカンセダンやジャガークラスの大きさがあれば最低限の室内空間は確保できるが、日本のコンパクトセダンでそのような低い屋根にすればどのような車ができるかは、考えるまでもない。
さて、話を戻して、付け加えれば、室内空間の前後長とホイールベースとの関連。
運動特性を直接的に左右するホイールベース(前後輪間隔)は、短い方が旋回には有利で、ボディの剛性も確保しやすい。しかし、後部座席の足下空間などが狭くなる傾向がある。反面、長ければ路面の凹凸によるピッチングへの影響は小さく、直進安定性が良くロングドライブも楽になるが、ボディ剛性の確保は難しくなる。
他にも、例えば、多人数乗車時や登坂時にもねばり強く力を発揮するトルクフルなエンジン、いたずらに力や野性味を誇示することなく、あらゆるシーンで、攻撃的ではないドライビングの楽しさをもたらす運動体としての品の良さ。といったセダンとして「まっとう」であろうとしたかどうかという視点もある。そのような任は、他のセダンが担うべきで、4ドアセダンのスカイラインならまだしも、ショートホイールベースの2ドア版スカイラインでは目指す方法が違うというならば、決定的な問題点を挙げてみよう。
そもそも、重く前後に長い6気筒エンジンが旋回性能等に与える強大な慣性マスに対処するには、ホイールベース間にできるだけエンジンを収めたいという課題がある。早い話が、縦置き直列6気筒エンジンのフル4シーターの場合、慣性マスの中央集中化とホイールベースはトレードオフにあるといって良い。スカイラインの問題点は、ホイールベースにとらわれすぎたことにある。ロングボディにショートホイールベース。長大な前後オーバーハング。重いエンジンがフロントアクスルの真上に載るという劣悪なレイアウトは、「間延びしたスカイラインなどスカイラインではない。」という熱狂的なファン自身による誤った「想い入れ」によって、この車を最後まで「いびつな存在」にしてしまったという事実でもあるのだ。
古くから資本提携関係にあった富士重工(スバル)の技術「マルチプレートトランスファー」を発展させ、強力なパワーを状況に応じて4輪に配分するというスポーツ4WDによって、「下駄を履いた金メダリスト」とさえ揶揄された基本的ディメンジョンの悪さを、恐ろしいほどのボディ剛性と、電子制御によるハイパワーでねじ伏せた車・・・それが直6搭載スカイラインの最後の姿でもあった。
スカイラインも3シリーズも、極めて似た生い立ちをもち、共にホモロゲモデル(方やGT−R、方やM3)によるトップレベルのスポーツ性能を得ながらも、プリンスの技術者魂は、決して日本のBMWを生み出さなかった。それは何も「ブランド」という表面的な問題ではなく、貫くべき哲学に決定的にかけていたということである。
今最もBMW的な存在にある日本車メーカーといえば、富士重工業かも知れない。もっとも、最後の直6FRスポーツセダンメーカーとなった「BMW」でさえ、引き締まった「コンパクトスポーツセダン」を生み出すことはもう二度と無いだろう。
さて、「ロードスター」の存在意義を検証するためにも、もう少し、話を周辺領域まで広げてみよう。
(2005/2/19)
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